(6月27日号)「百の説法へ一つ」 
「百の説法屁一つ」と新聞が書いていましたが、日ごろいくら立派なことをいってもいかがわしいことが一つあれば、立派なことも空虚にきこえるという意味です。福井日銀総裁の件は「くさくて、におう」話でいただけません。通貨の番人というのは最高裁長官と同じくらい清廉でなければいかんでしょう。
私は社会部記者になり東京へきたばかりのころ、父から「絶対に株はやってはいかん」といはれました。以来、毎日新聞の株以外持ったことはありません。毎日新聞の株は役職に応じて持たされたのですが、紙切れ同然で値がついているのかどうか。投機対象の株は1株たりとも持たなかったのはよかったと思っています。記者クラブでどこの株が上がった、下がったの話をしている記者がいましたが、そんな話とも無縁でした。国会を担当しているころ不思議だったのは議員会館の議員の部屋に株売買の男が出入りしていたことです。彼らは廊下トンビをしていました。議員秘書や議員に株をいじっている人が多かったのでしょうねぇ。ごろごろしている感じで、異様に思えました。
民主党の松井孝治さんも残念です。松井さんはよく知っている人で、真面目で勉強家です。秘書の給与の肩代わりをして も、こういうのはやってはいけないことです。堂々と政治資金法に基づいてカネをもらえばいいのに、どうして姑息(こそく)なことをするのか。よくわかりません。
フジテレビの黒岩祐治さんと村上世彰さんは灘中、高の先輩、後輩の関係で、黒岩さんは村上ファンドの人脈に上げられていましたが、彼は「彼(村上)の原点には改革者魂があった」と書いています。(「ぺるそーな」7月号12頁)初期の「日本を変えたい」という村上さんの情熱に福井総裁も、松井参議院議員も突き動かされて、脇が甘くなったのかもしれません。前号で書いたように、検察のやることがなんでも正義とは思いません。村上ファンドの役割を認めたうえで、一般的に考えて、両者のかかわり方はおかしい。とくに福井さんは潔ぎよく身を処すべきだと思います。
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【2006/06/27 Tue 04:02 】 | 四方洋のコラム | comment(0) | trackback(0) |
(6月20日号)「気骨ある記者をみた」 
「ヒルズ黙示録」の著者、大鹿靖明さんの話をきく機会がありました。といっても少人数でマル秘の話をきいたわけではありません。日本記者クラブで「著者と語る」シリーズをやっていますが、その一つです。
大鹿さんは1965年生まれ、朝日新聞入社、青森支局から経済部を経て、現在「アエラ」編集部、カブト町も担当したらしく、そのころから当の本は書く素地はあったのでしょう。彼はホリエモンや村上ファンドの取材を通して今度の事件に遭遇し、検察の世論にこびた探査のあり方に疑問を投げかけています。この検察に批判する努力は皆無です。
期待されるのはマスコミですが、マスコミは検察のリークがなければ取材の枠組みから外されてしまいます。恐ろしくて批判はできない。みのもんたに代表されるテレビの情報番組も、検察や警察の尻ウマに乗って「悪い奴」といって勧善懲悪(かんぜんちょうあく)をはやし立てる。ホリエモンはヒーローだったり悪者だったりするわけです。検察は世論の動向をみながら捜査をしますが、つかまるのがすべて悪なのか。彼はもう少し会社法や 証券取引法の議論を煮詰めて判断されるべきなのに、お上が悪ときめつけると、すべて悪者に落としてしまって抹殺(まっさつ)するといいます。「これではチャレンジする若者は育たない」と嘆いていました。
「金儲けがすべて」という風潮は嫌ですが、みのもんた風に「悪いのがつかまりました!」とコメンテーターに同意を求めては視聴者の心をつかんでいくやり方はどうかなと思います。テレビで魔女狩り、それも昨日までのヒーローを、官の方針にのっとって悪に落としていく。ファッショの芽を感じますねえ。
検察は絶対でしょうか?先日も箱根の集会で「いまのマスコミは怒らない」と鋭く批判されましたが、医療費がが上がろうが、言論が制限されようが怒らないマスコミはいずれ読者から捨てられます。いま東条英機が首相なら、恐らくワイドショーで拍手喝采だったでしょう。東条は街を歩いてゴミ箱をのぞいたりするパフォーマンス好きの首相でしたから。大鹿記者は久しぶりにみた気骨あるマスコミ人でした。ちょうど40歳をすぎたばかり、これからも活躍を期待しています。

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【2006/06/20 Tue 03:59 】 | 四方洋のコラム | comment(0) | trackback(0) |
(6月13日号)「白鵬の頭の中は日本人」 
「生きがい開発」というテーマで語れといわれたらどうしますか。生きがいって理くつづけるのは難しいですよね。新聞社をやめて間もなく厚生省の課長や大学の先生と研究会をつくり、1年ほど議論してできたのが「健康と生きがい開発財団」です。生きがいには1人称、2人称、3人称があるというのがもっともらしい理窟です。「阪神が勝つのをビールを飲みながら見る」生きがいは1人称ですよね。「子どもの成長が楽しみ」は2人称です。「通りをきれいにして気持よく歩いてもらうのがうれしい」は3人称。1人称から2人称、3人称へと高めていくのが「生きがい開発」でしょう。しかしこれを人に分かってもらうように話すのは大変です。
都庁や都下の市に勤めていた人たちの会に招かれて箱根で話をしてきました。高齢者100人ほど、現役時代は労組活動をやっていた人たちですが、20%くらいがNPOにかかわっていました。相当の普及率です。これからNPOが「生きがい開発」のきめ手になるのではないか、と思います。
途中で「はつ花」でそばを食べました。自然薯(じねんじょ)を使ったそばです。そばのうえにとろろをかけ、真っ白な真ん中に黄色のタマゴを浮かしたそばを隣の人が食べていて「うまい、うまい」といっていました。わたしは「とり南蛮」を食べました。箱根は緑がきれいでしたね。小田原から湯本へ行くまで、線路脇にはアジサイが満開でした。
日本記者クラブで白鵬関が会見しました。記者の質問に答える形でしたが、日本語の理解力が優れている。難しいいいまわしもよくわかっていました。モノを考えるときもモンゴル語で考えるか、日 本語で考えるかときかれて「日本語で考える」といっていましたね。
彼を鍛えたのは子どものころ、夏休みに草原の親せき宅に行って馬に乗ったり、水くみをする。ひと夏の体験が身体を強くしてくれたと話していました。「モンゴルでは相撲界に入りたいと願う少年は多いが、日本と同じで草原で遊んだりするのが少なく、強い関取はもう出てこないのではないか」といっていました。
ライバルは把瑠都(バルト)だそうです。白鵬はすでに風格をたたえています。ゆったりした歩き方で、やわらかく受けとめて包み込む強さを持っている感じがします。双葉山、大鵬を継ぐ名力士になるのではないでしょうか。
女医であるお母さんはしつけがきびしかったそうですが、聡明さを受けていますね。「お父さん、お母さん」とていねいにしゃべるのをきいていると、日本人以上に日本人だと思いました。お父さんに教えられたのはただ一つ、「最後まで力を抜くな」。やわらかい体が下にあって、その上にかぶさるまで抜いてはいけないという言葉だそうです。
記者会見のとき用意されたひじつきの椅子は小さくてダメでした。折りたたみの椅子を2つ並べてその上にすわりました。昔、名古屋中署のクラブにいたとき、大起団衛門(おおだちだんえもん)が訪ねてきましたが、ソフアにすわったとたん、メリメリとくずれたことを思い出しました。大起は幕内一の巨漢でしたが、すでに年寄りの身、名古屋場所の関係で広報にきたのでしたが、あとどうして会見をやったのかおぼえていません。やっぱり椅子を2つ分、並べたのでしょうか。

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【2006/06/13 Tue 03:57 】 | 四方洋のコラム | comment(0) | trackback(0) |
(6月6日号)「飛鳥田(あすかだ)と中田-横浜は新鮮?」 
昭和40年代の後半だったでしょうか。「市民」という月刊誌をやっていたことがあります。10号くらいしか持たなかった雑誌ですが、飛鳥田一雄、篠原一東大教授、日高六郎(評論家)の3人が代表で名を連ねていました。当時3人は革新の代表的な論客でした。
私をこの雑誌に引き込んだのは自治労の竹尾和人君です。彼は参議院議員の秘書をしていて、国会記者の私とつながりができ「チエを貸せ」となったのですが、スタートのときは朝日やNHKの記者も匿名でレポートを書き、経企庁の局長だった下河辺淳さんも協力してくれました。日本に本当の市民が登場するのはいつか、なんとなく使っていた市民という言葉を突きつめて考え、市民の広がりを期待した雑誌でした。
なぜ「市民」を思い出したのか。一つは竹尾君から手紙が届いたからです。竹尾君のことは書けば1冊の本になるくらいエピソードがあります。彼は料亭「中川」の若女将と再婚して、タイのチェンマイに住んでいます。2人は海で潜るのが趣味です。苗字も彼女の姓に変わっていましたが、チェンマイでは読書にふけって、自然の生活を満喫しているようです。
もう一つは横浜に行って市政を取材したからです。横浜市政を世に売り出したのは、いまの市長の3代前の飛鳥田さんでした。飛鳥田さんは乞われて危機の社会党委員長になりましたが、革新の星と期待されながら伸びませんでした。「飛鳥田さんといまの中田市長を比較する
と?」この質問にある市職員はこう答えました。「飛鳥田さんを支持したのは団地族であった。中田さんを支持するのは住宅地の一戸建の人たちだ」と。双方とも横浜市政に新しい切り口を展開していますが、中田市長は日産のゴーンさんに似て、やり手経営者のようです。
飛鳥田さんは小児麻痺にかかって足が悪くツエをついていました。一度雪の日に自治省のビルから建設省のビルへ一歩一歩階段を上がる飛鳥田さんを見かけました。そのあとをゆっくりついて歩きましたが、その後姿が飛鳥田さんのひたむきさを表現していて、ホロッとしたことがあります。ベテラン記者は「あれにごまかされるんだよなぁ」といっておりましたが、確かに足が不自由だから、立派な政治家だとは限りません。しかし、ツエをついて片足ごとに階段を踏みしめる飛鳥田さんはウソをついたり、かけ引きしたりする人とは思えませんでした。
中田市長のことは「ぺるそーな」の「土着の系譜」で書きます。
ネイチャースクール(南房総市和田)の「くじら学」の講師は和歌山県太地町からくじら博物館の前館長にお出でいただきます。私たちNPOでくじら祭りも企画しています。あの美しい浜辺でみこしかつぎはどうか。くじら肉のバーベキューができたらうれしいのだけれど・・・。消防が許してくれんだろうな。花嫁街道のハイキングが山道を歩くのに対して、浜辺のウオーキンも行事に加えたい。浜辺で語り合いましょうよ。

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【2006/06/06 Tue 03:56 】 | 四方洋のコラム | comment(0) | trackback(0) |
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