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昭和40年代の後半だったでしょうか。「市民」という月刊誌をやっていたことがあります。10号くらいしか持たなかった雑誌ですが、飛鳥田一雄、篠原一東大教授、日高六郎(評論家)の3人が代表で名を連ねていました。当時3人は革新の代表的な論客でした。
私をこの雑誌に引き込んだのは自治労の竹尾和人君です。彼は参議院議員の秘書をしていて、国会記者の私とつながりができ「チエを貸せ」となったのですが、スタートのときは朝日やNHKの記者も匿名でレポートを書き、経企庁の局長だった下河辺淳さんも協力してくれました。日本に本当の市民が登場するのはいつか、なんとなく使っていた市民という言葉を突きつめて考え、市民の広がりを期待した雑誌でした。 なぜ「市民」を思い出したのか。一つは竹尾君から手紙が届いたからです。竹尾君のことは書けば1冊の本になるくらいエピソードがあります。彼は料亭「中川」の若女将と再婚して、タイのチェンマイに住んでいます。2人は海で潜るのが趣味です。苗字も彼女の姓に変わっていましたが、チェンマイでは読書にふけって、自然の生活を満喫しているようです。 もう一つは横浜に行って市政を取材したからです。横浜市政を世に売り出したのは、いまの市長の3代前の飛鳥田さんでした。飛鳥田さんは乞われて危機の社会党委員長になりましたが、革新の星と期待されながら伸びませんでした。「飛鳥田さんといまの中田市長を比較する と?」この質問にある市職員はこう答えました。「飛鳥田さんを支持したのは団地族であった。中田さんを支持するのは住宅地の一戸建の人たちだ」と。双方とも横浜市政に新しい切り口を展開していますが、中田市長は日産のゴーンさんに似て、やり手経営者のようです。 飛鳥田さんは小児麻痺にかかって足が悪くツエをついていました。一度雪の日に自治省のビルから建設省のビルへ一歩一歩階段を上がる飛鳥田さんを見かけました。そのあとをゆっくりついて歩きましたが、その後姿が飛鳥田さんのひたむきさを表現していて、ホロッとしたことがあります。ベテラン記者は「あれにごまかされるんだよなぁ」といっておりましたが、確かに足が不自由だから、立派な政治家だとは限りません。しかし、ツエをついて片足ごとに階段を踏みしめる飛鳥田さんはウソをついたり、かけ引きしたりする人とは思えませんでした。 中田市長のことは「ぺるそーな」の「土着の系譜」で書きます。 ネイチャースクール(南房総市和田)の「くじら学」の講師は和歌山県太地町からくじら博物館の前館長にお出でいただきます。私たちNPOでくじら祭りも企画しています。あの美しい浜辺でみこしかつぎはどうか。くじら肉のバーベキューができたらうれしいのだけれど・・・。消防が許してくれんだろうな。花嫁街道のハイキングが山道を歩くのに対して、浜辺のウオーキンも行事に加えたい。浜辺で語り合いましょうよ。 |
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